不登校になり始めた頃は、当然どの家庭も親と子の激突する期間があると思います。
よく不登校は親の甘やかしという言葉を目にすることはありますが、
多くの家庭が手放しで「学校に行かなくてもいいよ」とはならないはずです。
元当事者の立場からは、親が厳しく対応することで学校に「行けてる子」は、
厳密には不登校の状態とはまた少し違うのかなと思います。
厳しくしても、優しくしても…どんなに手を尽くしても「行けない状態」が続くことが
不登校なんだと思います。
勿論、私達夫婦も不登校になり始めたころは親子との衝突は当然ありました。
発信できる範囲でですが、今回は不登校になり始めた当初どんな衝突があったのかを紹介していきます。
パパのケース
自分の場合は不登校の4段階の通りに不登校になりました。
中学1,2年生の頃は五月雨登校、3年生の時に完全不登校。
五月雨登校の頃は、勿論親は自分の事を叱っていましたし、
学校まで無理やり送られることも度々ありました。
自分としても、なぜ学校に行けないのか理由が明確ではありませんでしたし、
親がどんなに強く叱ったとしても、自分が行けそうなときは学校にいく、
無理な時は休むといった日々を繰り返していました。
強く叱られたりしても、当時の親は「ただのサボり」と感じていた節もあり、
自分の子どもが不登校になりかけているとは思っていなかったと思います。
出席日数が少ないとは言え、登校自体はたまに出来ており、「学校社会とのつながり」があったからです。
本格的に歯車が狂い始めたのは、3年生の春からでした。
クラス替えを境に、自分は「もう学校に行くのが辛い」
と最後の一本が切れた感覚があり、4月から完全不登校状態になりました。
多分、最初のうちは「またいつものね」と親も思っていたようですが、
どんなに叱っても、無理やり連れていっても、徹底的に抵抗をする私をみて
「様子が違う」と感じていたと思います。
よく、厳しくすれば子供は学校にいくといいますが、
毎朝、暴れまわったり、玄関を必死につかみ続けて抵抗する。
学校の前まで連れていっても徹底的に拒否する。
(やはり中学生ということや、時代的なものもあり、親はかなり厳しい対応をしていました。
実家の私の部屋には未だに壁に穴が開いています。)
うちの親は世間でよく言われている「厳しい対応」を一通り試していました。
だけど、自分は「学校に行けなかった」のです。
どんなに厳しくされても、学校にいくよりも家にいる方がよかったからです。
混沌とした親子の衝突期間は1学期の間は続きました。
今思えば、たった3か月程度の期間だったのですが、人生で一番叫んで泣いた時期でした。
私の感情だけではなく、その期間の家庭内の雰囲気は最悪で、
朝は学校に行く行かないのひと悶着から始まり、
互いに衝突しながら疲弊して、昼過ぎからは殆ど口を利かず1日を終える。
そんな日々を過ごしていました。
のちに、親子間の関係性は改善されてはいきましたが、
それまでは本当に毎日、罵声が飛び交うような毎日だったと記憶しています。
ママの場合
私が不登校になったのは高校に入学してからでした。
中学時代から仲の良かったグループから突然、仲間外れにされるようになり、徐々に不登校になりました。
それ以前に、高校の校風が私には全く合わなかったのも大きかったと思います。
小・中まではそれなりに嫌な事があっても乗り越えることが出来ていて、
自分の第一志望の高校に合格できて、全てが自分の思った通りに人生が進んでいたはずなのに、
この時は乗り越える気力も一切湧いてこずに、とにかく登校を拒み続けていました。
あんなに頑張って入学した高校だったはずなのに、行きたくない。
体が動かない。
自分でもなぜ、そこまでストレスが溜まっていたのかはわかりません。
今まで勉強も運動も頑張ってきたはずなのに…。
全く頑張ることができない。
休んでも休んでも、なぜか全く学校に行く気が湧いてこない。
そして家から無理やり引っ張り出そうとする母に抵抗し続けるような日々が続きました。
両親は、小・中と勉強も部活動も一生懸命に取り組んでいた私が、
突然、学校に行けなくなるととても困惑していました。
なにより私自身も、よくわかりませんでした。
人間関係のトラブルであれば、小・中も経験してきたはずなのに、
学校のことを考えるだけで涙が出てくる。
親は私をクリニックに連れていったり、思いつく限りのことは色々試しましたが、
肝心の私が折れていたので、どれも意味はなく、高校を中退しました。
そこから引きこもりのような期間を経て、再度定時制高校を受験し、またやり直すことができるようになりました。
不登校に「厳しい対応」は必要なのか?
私達夫婦が不登校だった頃は、今ほど不登校の対応に関する情報はあまり存在していませんでした。
そして現在でも不登校は甘えだという方もいますが、十数年以上前は更にその風潮は強かったです。
なので当然、親や学校の先生もとても厳しいの対応をするのが当然でした。
そして、その厳しさをもってしても私達が再登校をすることはありませんでした。
当事者として言わせてもらうなら、親が考え得る厳しい対応を全てしたとしても、
「学校に行けない」状態のことが不登校なのかなと思います。
世間的に厳しい対応をして再登校できるという場合は、
それは不登校とはまた違った状態なのかな?とも感じます。
不登校になってしまうと、学校に対する恐怖から必死に親に抵抗するからです。
どんなに親から厳しいことをされても、必死に拒みます。
厳しさよりも、学校に対する恐怖心の方が大きかったと思います。
ですが、厳しい対応に全く意味がないとも思いません。
親としては「再登校の為にあらゆる手を尽くした」とある意味で諦めに近いものがわかりますし、
子どもも「本当は行かないといけないけれど黙認されている」と認識する為に、
ある意味では必要な工程なのかも感じます。
なので、親子の衝突はある意味で絶対に発生してしまう、回避不能の時期なのかなと思います。
ぶつかっていく過程を乗り越えて、徐々に親子で前を向き始めることが大切なのかもしれません。

